新規募集クラス

自己紹介

はじめまして!84年長岡京市生まれ、がくえん幼稚園(現みどりの丘幼稚園)→五小→四中→西乙と生粋の長岡京市育ちの高岡結美子です^^
小二、小五の娘と夫、文鳥のピヨと暮らしています♪

どうして私がこどもたちに英語を教えたいと思うようになっていったのか、少しだけお話させてください。

 

英語に魅了されていったきっかけ

幼いころ、海外を旅することが大好きな叔母が、いつも色々な国のお土産を持ってきてくれました。異国の空気を感じながら、ドキドキワクワク、お土産を手にしたことをよく覚えています。

その中に一冊の英語の絵本がありました。

興味津々で、これ何て書いてあるの?と聞きながら、自分で読めたらいいのになぁと思っていました。

そのころの気持ちが残っていたのか、五年生からは英語教室に通い出し、のめり込むようにどんどん好きになっていきました。

初の海外旅行

初の海外旅行は五年生の冬に行ったオーストラリアでした。

同じ地球上なのにこんなに日本と違う場所があったなんて!
美しい珊瑚礁に、壮大なエアーズロック!

新鮮な光景に感動しっぱなしでした。

このころから海外に憧れを持ち出した私は、将来は海外に行ってみたい。いずれは英語を使って仕事をしたいと思いはじめていました。

国際人って?

その後も英語への情熱を持ったまま中高過ごしていました。
多感な高校生の頃、日本は窮屈だ。みんな同じでないと認められない。個性が無い。
絶対に海外に出て私は自由で国際的な人間になる!という風に思っていました。
そんなモチベーションもありつつ、アメリカの大学に交換留学生として旅立ったのです・・

交換留学!

それは20歳の私にとってはなかなか厳しい世界でした・・
みんな何言ってるのか全然わからへん・・なんて言ったらいいのかわからへん・・これじゃ幼い子どもやん・・
生きてきた中ではじめて深く感じた挫折感。
海外に住めればハッピーというお花畑な当時の私にはとても辛かったです・・

そして気が付いたことが二つ

英語は海外に行ったら自動的に話せるようになる。なんていうのは妄想で、ひたすら努力をし、自力で何とか話せるようにしていかなければいけないものだということ。

ぼーっとすごしていたらほとんど英語を話さずに留学期間が終わる可能性だってあります。
あと四か月で満足するまでしゃべれるようになる?!と帰国までの日数を指折り数えていました。

英語を話せるということは国際人とイコールではないこと。

私はずっと海外に目を向けてきていました。
だけどここで大変なことに気が付きました。

”私は日本の事を何も知らない・・・”

色々な人に出会いましたが、みんな自分の国に誇りを持っていました。
私は育った国でありながら、日本について聞かれてもほとんど答えられずとても恥ずかしい思いをしました。

日本の事をよく知らない英語だけを話せる人、、これでは国際人とは呼べない。
国際人とは自国の確固たるアイデンティティを持ち、世界に活躍する人であることを痛感しました。

このままじゃいけない!私は変わらなければ!と思いながらも、後ろ髪引かれつつ一年の留学期間を終えて帰国し、就職しました。

もう一度アメリカへ!

商品を輸入する仕事につき英語を毎日使っていましたが、何かモヤモヤする毎日。
英語を使える仕事についたのに何が嫌なんだろうかと自問自答の日々。

そこでハッ!としました。私は英語を使いたいのではなくて、英語を教えたいのだ!と。
私は子どもの頃通っていたアットホームな英語教室が大好きでした。
あんな場所を私も作りたい!!

将来きっと英語教室をしているだろうなぁなんて妄想だけはしていたのですが、
それって具体的にどうやってそんな未来はやってくるんだろうか?
そんな未来はもしかして勝手にはやってこないんじゃない!?とその時気付きました。

今の行動が未来を作る!!

そう思うといてもたってもいられず、まずは自分の英語力をあげることが必須だと思い、24歳の時に二度目の渡米をしました。

アメリカでは子どものいる家庭にホームステイさせてもらいながら、そのおうちの子どもたちのお世話をするオペアプログラムに参加。
私のホストファミリーの家には0歳.2歳.4歳の子どもたちがいました♡

かわいいと同時に未就園児三人のお世話は本当に大変でした!!親とはすごいものなのだとよくよく分かった良い経験でした。

滞在中は子どもたちが話すフレーズや親が子どもに話しかけるフレーズ、といった英語を私も使えるようにと必死で学びました。

ボランティアをさせてもらった保育園では、子どもたちが遊んでいた手遊び歌など、これは絶対に日本に帰ったら教えてあげよう!と思うことをたくさん吸収しました。
新鮮な毎日で好奇心が満たされる最高の経験でした!!

そして、ホストファミリーの両親からはこどもと関わる上でとても大切なことを教わりました。

”こどもをこども扱いせず、対等な立場で一人の人として尊重する。”

今、自分自身の子育てや英語教室に来てくれる生徒たちとの関わりに深く影響しています。

初めて作ったジャックオランタン!

パラグアイ出身のアンディー!色んな常識が違いすぎておもしろかった!!!

ホストペアレントと再会^^

ニュージーランド~現在まで

帰国後あっという間に今度はニュージーランドへ行きました。
あの頃の私には翼が生えていたんでしょうね

ニュージーランドでTESOL(児童英語講師養成講座)を受講し、みっちりしごかれました♡

帰国後は大手英会話で講師をつとめ、結婚出産後の2019年に念願の英語教室を開講しました。

想い

20代はいろんな国に行って、住んで、本当に貴重な経験をしました!!

交換留学先での授業についていけなくて、泣きながら相談した時に、
大丈夫大丈夫と励まし続けてくれた先生
右も左も分からない私に優しくしてくれた友人
本当の娘のようにたくさんの大切な事を教えてくれたホストマザー、全ての出会いに感謝です。

英語というツールのおかげで私の人生はとても豊かなものになりました。
海外に出たことで、日本のいいところにもたくさん気が付くことができました。
(そして今では英語を教える傍ら、歴女へと変貌しつつあります・・笑)

今度はこどもたちの番です!!
英語というツールを手に入れて、海外に出てみてほしい!
日本の常識は世界の非常識。
そんなことを肌で感じてきてほしいんです!

たくさんの多様なバックグラウンドの人や、自分とは全く異なる考え方の人に出会うと、視点の持ち方が変わります。すると私がそうであったように、ガチガチの固定概念が外れ、きっと生きやすくなると思うのです。

そしておもしろいことに、もう海外に行かなくてもインターネットを開けばすぐに世界に友達ができる時代です。必ず世界のどこかには自分が居心地がいいと思える場所があるんだよ。
だから無理して合わせなくてもいい、自分らしくていい、ユニークでいい、そのままの自分を愛してあげてほしい。

英語教育を通して、自分らしく幸せに生きる道を、自分の力で選び取れる人になれるようにこどもたちをサポートすることが私の使命です。
英語を学びながら、こどもたちの成長に大切で、生きていくために必要なことをしてあげたいのです。

だからこそ、私はこどもたちが英語を話せたらそこに至るまでの過程/手段は何でもいい、とは思っていません。
むしろ英語を習得していく過程がどんな道のりであるかがとってもとっても大事だと思っています。

少し難しいけれど、英語だけでがんばって言ってみる。
照れるけれどクラスメートの前で発表をしてみる。
自分のアイデアを出してみる。
クラスメートと協力して課題に挑戦してみる。

なぜなら英語ができる子になることがその子のゴールではないはずだからです。
英語を話せるようになることは、こどもたちが幸せに人生を歩むための一つの手段に過ぎません。

”自分らしい幸せな生き方を選び取れるようになる”という壮大なゴールに向かって、教材を選び、レッスンプランを組み、こどもたちとの関わり方を決めています。

という感じで、物凄い熱量で教室を運営しています♡
行動力と情熱のかたまりと言われることが自慢です。笑
よかったら会いに来てくださいね^^

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